「好きなことを仕事にした方が良いか否か」という論争をご存じだろうか??読者の皆様も「夢物語をいつまで追いかけているんだ?」などといったセリフを聞いたことがあるだろう。
今日はこれがテーマです。
おはようございます。
電験と電気業界を研究している桜庭裕介です。
初めての方もいらっしゃると思いますので、いつもの簡単な自己紹介を添えておきます。
❑電験研究歴❏
✔トータル100年分の過去問を分析
・電験1種 40年分
・電験2種 40年分
・電験3種 20年分
✔雑誌連載を開始
「理論の超入門」
❑TOEIC❑✔半年で885点取得
一言で言うと、電験をずっと分析している人間です。
夢はある?と最近聞かれた。
電気、プラントの運転操作を教えて、自分が飯を食えれば最高だと答えた。
妻子なしなら、小さなアパートの一室で納豆や卵とごはんだけの食事で暮らすと思う(栄養の事は無知)
今後、確実に介護施設の問題が挙がる。
そこに貢献できれば良い。
そんな事を考えている。
好きなことを仕事にすべきか否か
「好きなことを仕事にすべきか否か」論争というものが昔からある。
特に30代~50代はかなり身近で感じていた論争だと思う。
何故なら
夢に破れて「都会から帰ってきた親戚のおじさん」がよくいた
からだ。
「好きなことを仕事にすることは難しい」と証明されてしまった実例をかなり見てきたのが30代~50代なのである。
実際、自分も「夢に挑戦する!!」という若者を見ると「大丈夫か?!勝算はあるのか?根拠はあるのか??」などと心配してしまったりする。
昔は素人がスターになる番組が多かった
これが多くの犠牲者を出した原因でもある。
昭和の後半から平成前半にかけて「素人」「一般人」が成り上がるような番組が非常に多かった。歌手をはじめとする多くの職種に素人が挑戦をする流れが生まれた。
自分の母親ですら歌手を夢見ていた時代だ。
当時の雑誌一つをとっても「頑張ればスターになれそう!」と思わせるし、なにより「スターになりたい!!」「芸能人になりたい!!」と思わせるほど、今と比べものにならない煌びやかさが世の中にはあった。
その勢いは落ち着いたと思ったら、ビジネス関係にも大きな流れが起きた。インターネットの登場による「起業家」という職業。
「会社に勤める」という選択肢ではなく「インターネットで個人で仕事をする」といったキラキラしたものだ。
当時、物販サイトは当然発展していなかったので個人でも簡単に仕事ができたわけだ。
その後は企業の参入により、多くの失業者が出たのは既知の事実だ。
公務員が最強時代
最近まで日本には転職という文化がなかった。
当然ながら中小企業以上の優良企業は中途採用がないに等しかったそうだ。高卒であれば、多少の実績では面接すら受けさせてもらえなかった。
王道の働き先はどこだったかというと「公務員や消防」だった。
かなり強かった。
今と違ってコネもあったし、人も沢山いて仕事自体も楽だし、年功序列で給与もうなぎ上りで退職金も膨大。
当然のことながら、レールから外れて挑戦をした人は公務員の方たちと比較されることとなった。
東京に上京した叔父さん
自分には東京に上京した叔父さんがいる。写真を見るとリーゼント頭だった。
芸能人になりてぇ!ということで東京に行って、音楽をしたり芸能関係の仕事をしたりしていた。
昔は「有名ミュージシャンのかばん持ち」という仕事が普通に存在していて、それを頑張っていたそうだ。(今じゃ問題になるような仕事。基本無賃金)
東京に行けば「音楽か芸能を仕事に就けるだろう!」と考えていたわけだ。
だが「芸能人になって有名になる」という夢は叶わなかった。そこそこの音楽活動をしていたものの途中で辞めたそうだ。
叔父さんが付いていたミュージシャンは誰もが知っているミュージシャン。今はネット知識もあるので、サインしたグッツや写真を沢山持っていれば資産になる!という発想が浮かぶが当時はそんなことを考えたこともなかったそうだ。※
※このリスクヘッジが下手だから上に登れなかったと言われればその通りだ。有名ミュージシャンの片腕ぐらいになっていたら、youtubeに一緒に出たりという選択肢もある。当時は携帯すらない時代だから仕方がないだろう。
話を戻すと
結論、膨大な志願者がいる中でオーディションや芸能の正社員という仕事を取ることができなかったワケだ。
夢破れた人は家業を継ぐことを決めたり、アルバイトから始めた物流の仕事をしたりする。
芸能関係に関しては、昭和の後半にこういった人が沢山いた。
そして今のように優しい時代ではなかったことが「好きなことを仕事にすることを危険視する」原因となっていく。
失敗した人は悲惨な目に遭う
失敗した人はとても悲惨な目に遭った。
今の時代は労働者が守られている。ブラック企業という言葉があって自殺者が出ようもんなら企業は徹底的に叩かれる。
が、昔は企業が圧倒的に強かった。転職という文化がないことも相まって、会社側は労働環境に気を使う必要がなかったのだ。それが当時のスタンダード。
引っ越し業界の話
今でも引っ越し関係の仕事は繁忙期になるとかなりグレーの仕事環境だ。休憩もグレーだし、夜遅くまで残業もめちゃくちゃ多い。
だが、昔はそんなもんじゃなかったそうだ。
人自体も沢山いたこともあって件数が膨大。作業は早朝から始まって終わるのは夜中。休憩?ふざけんな!の時代だ。
今でこそ良いツールができたので持ち運びが楽になったそうだが、当時のやり方で、夜中までの肉体労働は本当にキツかったそうだ。
重量のある荷物をずっとテキパキ運ばなきゃいけない。終わらないと帰れない。残業もきっちり出ない。当然、怒鳴られたり理不尽なこともある。
この経験を叔父さんは決して親と兄妹には口にしない。
だが「引っ越し業界のずさんな労働環境」といったテレビ番組も多く報道されたこともあって、皆知っている。
そのため「夢に挑戦して叶わないことの恐ろしさ」を周りの人は忘れないだろうし、思考の軸になっている。自分も含めてだ。
だが挑戦した人は違う意見を持つ
「好きなことを仕事にするとダメ!」と発言をする人は本当に好きなことをしていた人だろうか??
そういう発言をする人は「好きなことをしていない人」だったりする。
叔父さんも含めて、自分が出会った人の中で
・好きなことを仕事にしていたが好きなことが嫌いになった人
・好きなことに挑戦をして後悔している人
こんな人は一人もいなかった。
皆、失敗したとしても、その失敗に対する後悔を一切していなかった。
さらに
仕事を楽しんでいる人は「仕事を好きだ!楽しい!」と言っている。
好きなことはなぜ好きなのかを細かく分解しよう
「仕事が楽しい!」と言っている人は「自分の好き」という感情で仕事をしている人がほとんど
嫌々仕事をしていない
という結論を自分は持っている。長年サラリーマンをやってきた結果だ。
自分のレベルがプロに及ばずに挫折してしまったという話もあるが、それは漫画家だったり、イラストレーター、デザイナー、スポーツ選手の話だったりする。
松田聖子さんが活躍した時代に松田聖子さん以上の歌手になりたい!という目標を掲げていたとしたら恐らく無理。大谷翔平さんやイチロー選手以上の選手になりたいという目標も挫折する。
記事(就職活動・転職活動のスタート【入り口を間違えるな】)にも書いたことなのが、仕事というのは実は結構沢山ある。
「好きは何故好きなのか」を細かく分解すべきだ。「あのポジションに就きたいから」という理由で、物事を好きになってはいないはず。
当時はポジションを得られなかったら、飯を食べていけなかったが今は時代が違う。
視点をずらした活躍の仕方
今の時代「視点や軸をずらす」といった工夫をして、好きなことを仕事にしている人が沢山いる。
youtubeもそうだし、クラウドワークスといった個人で仕事を受けるサービスを使う人もいたり、アフィリエイトをしたり、雑誌出版をしている人もいる。色々組み合わせて暮らしている人が多くいる。
あのポジション!このやり方!といったように固執していると上手くいかない場合が多い。(自分の場合も有名大学で講義で仕事をしたい!という希望だけだったら、飯は食えないだろう。色々な好きを組み合わせて仕事をするようにしている)
一方でサラリーマンだって、好きな仕事に就く方法はある。
調整業務が好きなら、調整を中心する仕事を希望していけば良い。会議を開催して議事録をまとめるような仕事だってある。
エンジニアであれば細かな調整が嫌なら、メーカを希望して研究や解析寄りの仕事に就くことだって希望すればできる。
チーム内にも沢山仕事があるので、自分で分解した好きが適合できないかな?という発想で仕事を探してみると良い発見はあるはずだ。
これが自分なりの「好きな仕事の就き方」である。